デルソーレの最高経営責任者は、1964年に妻の愛子が設立した冷凍ピザ販売会社と、自身が日本ケンタッキー・フライド・チキン時代に譲り受けた和食飲食業の会社を2003年に合併させ、現在の体制を築いた。同社は「世界のおいしいもので日本の食卓を豊かにしたい」というミッションを掲げ、ピザのほか、フォカッチャやピタ、ナン、トルティーヤなど、世界各地の優れたパンをレストランや小売店へ提供している。 同氏は、取引先の依頼で世界の小麦産地を探索する中で、リトアニアのマリヤンポレにあるマンティンガ社と出会い、同国の良質な冷凍パンの日本販売権を取得した。また、リトアニアのカウナスにある杉原千畝記念館を訪問した際、杉原のヒューマニズムに感銘を受け、記念館の修復・保全のために各地のロータリークラブを通じて寄付金を集める活動を行った。 こうした食文化や教育を通じた交流の結果、同氏は2019年にリトアニア共和国の在千葉名誉領事に就任し、千葉工場内に名誉領事館を開設した。また、2014年からは東日本大震災の被災地である福島県の農業高校と協力し、寄付金を集める「忘れな草プロジェクト」を行うなど、イエズス会の理念である「自分の力を喜んで人々のために生かすことのできる人間」を原点として、社会貢献活動を続けている。
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私が最高経営責任者を務めるデルソーレについて少しお話ししたい。源流は妻の愛子が1964年、米国から冷凍ピザを輸入し販売する会社を立ち上げたことにある。その後、私が日本ケンタッキー・フライド・チキン時代に譲り受けた焼鳥店など和食飲食業を手掛ける会社と妻の会社を2003年に合併、現在のデルソーレとなった。会社同士も〝結婚〟したようなもの。当時、愛子は上場企業として2人目の女性経営者だった。
千葉工場内に在千葉リトアニア名誉領事館を開設した(左から2人目が筆者、右端は妻の愛子)
当社のミッションは「世界のおいしいもので日本の食卓を豊かにしたい」。ピザだけでなくイタリアのフォカッチャ、中東のピタ、インドのナン、メキシコのトルティーヤなど世界でおいしいパンを見つけ、レストラン、小売店などに提供している。
10年ごろ、取引先から「とてもおいしいパンがあるが、どこで作っているか探してほしい」と依頼を受けた。商社などにもお願いし、世界の小麦産地を訪ね歩いた。そこで出会ったのが東欧のリトアニアの田舎町、マリヤンポレにある冷凍パンメーカーのマンティンガ社。穀倉地帯を抱える同国には、紀元前にさかのぼるパン作りの伝統があり、良質なパンの産地として知られていた。
試食すると本当においしい。現地の人たちは親切で、たちまちリトアニアの人々に魅了された。早速、日本での販売権を取得。商談で同国に行き、カウナスで杉原千畝記念館を見学したことがある。ナチスの迫害から逃れたユダヤ人に、日本通過の「命のビザ」を発給し、多くの命を救った杉原千畝の功績を伝える記念館だ。館内にあった杉原さんの言葉に目が留まった。
「彼らは人間で、助けが必要だった。喜ばしいことは、自分の中にその助けを与える決定をする力を見出(みいだ)したことである」。その言葉は少年時代に栄光学園で多くの支えを受けた自分の経験とも重なった。記念館の館長に「何かお手伝いできることはありませんか」と聞くと、「記念館ができて20年近くたち修繕費が心許(もと)なくなってきています」と実情を話してくれた。
帰国するとすぐに東京・山王、横浜、大阪のロータリークラブに声を掛け、記念館の修復・保全のためにと寄付金集めをした。私以外にも記念館存続のために色々な草の根活動が広がったのは嬉(うれ)しかった。結果として記念館修復の一助となった。今年は杉原千畝の没後40年にあたる。改めて杉原のヒューマニズムの精神を後世に伝える努力をしないといけないと思っている。
こうした食文化や教育を通じた交流の積み重ねもあり、19年にはリトアニア共和国の在千葉名誉領事に就任し、千葉工場内に「名誉領事館」を開設した。22年に始まったロシアによるウクライナ侵略では隣国のリトアニアを経由して支援を続けた。
ケンタッキー時代に比べ、デルソーレでは経営・社会貢献活動の自由度は高まった。前職は「サラリーマン社長」だったが、今は妻とともに経営を担う立場だ。良いと思ったことはすぐ行動に移せた。14年からは東日本大震災の被災地の福島県の農業高校の皆さんに「忘れな草」を栽培してもらい、春に東京の代々木公園などで配って寄付金を集める「忘れな草プロジェクト」をしている。「自分の力を喜んで人々のために生かすことのできる人間」。このイエズス会の理念こそ、私の原点である。
(日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長)